まちの歴史(昭和29~33)

昭和29(1954年)

12・1 ○南尻別村を蘭越村と改称、同時に町となる。
○道立名駒診療所開所。
12・20 「蘭越町弘報」(後の広報らんこし)第1号発行される。

昭和30(1955年)

4・1 ○寿都町字磯谷町北尻別地区(現港町)を蘭越町に編入し、北尻別東土場10番地に、北尻別出張所を設置する。
○寿都町立尻別小学校を蘭越町立とし、尻別中学校を併置する。
昭和31・4・1 字名変更により港小中学校と改称
同 34・9・1 港中学校を初田中学校に統合
4 第2回チセヌプリ登降スキー継走大会。
7・2 ○町政施行記念式典を蘭越小学校において挙行。
○町内各小中学校生徒により、旗行列を行う。坂本洋三(昆布小学校長)作詞、作曲の「蘭越町町政記念祝歌」を歌う。
7・4 ○この日までの3日間、各種祝賀行事を実施。
○開拓10周年(戦後開拓)記念式典挙行。
8・7 各地区別の遺族会を解散、蘭越町遺族会(会長小林栄三郎)設立。
11・12 名駒宝橋落成。
この年 ◇角谷末松試掘の昆布川温泉、町営となる。
◇農村電化地区 栄
1・14 蘭越町漁業協同組合設立される。
昭和43 磯谷漁業協同組合(現寿都町漁業協組合磯谷支所)と合併。

昭和31(1956年)

4・1 ○集落地域の字名改正。字蘭越・字昆布・字中目名・字名駒・字北尻別を、それぞれ蘭越町・昆布町・目名町・名駒町・港町と改称する。
○町消防団の機構を改革。5方面の独立消防団を廃し、蘭越・昆布・目名・名駒・港の5分団制とする。
4 第3回チセヌプリ登降スキー継走大会。
5 蘭越町体育協会(会長小林栄三郎)設立される。
この年、同協会により第1回蘭越町民運動会が開催される。
8・16 港、目名、昆布の各地区
9・9 蘭越地区
6・12 蘭越火葬場の新設工事始まる。
8・3~4 第5回後志婦人大会、蘭越小学校で開催。
8 昆布町に道内硫黄株式会社の硫黄科学精練所設置され、操業を開始。
11・4 名駒町瑞龍寺境内に、無名開拓先駆者慰霊碑を建立。
11・8~12・3 道林務部が森林計画編成資料作成のため、町内民有地の航空測量を実施。

この年
◇町営温泉(昆布町)ボーリング中に、41.5度の温泉が湧出、町は温泉運営審議委員会を設けて、今後の方針を決めることにした。
◇尻別川(大谷より河口に至る流域32キロメートル)の大改修工事に着手。
◇揚水機利用の造田開発盛んになる。
◇椎茸栽培5か年計画をたてる。

昭和32(1957年)

4・1 蘭越町母子会設立。
4 第4回チセヌプリ登降スキー継走大会。
5・15 大谷地区のかんがい排水工事の一部完成、通水式を行う。
7・1 町営公衆浴場(昆布川温泉)、営業を開始。
入湯料 大人15円 中人12円 小人7円
10・30 30年8月20日に着工した目名川改修護岸工事竣工。
11・15 「蘭越町弘報」の題字を、第36号より「蘭越町広報」と改称。
11 ブロック建築による公営住宅5棟30戸落成。(昆布・蘭越・目名・名駒・港)
12・25 湯里小学校新校舎落成。
12・27 農事放送組合(組合長小林栄三郎)の有線放送、放送を開始。

昭和33(1958年)

4・1 蘭越市街、建築指定となる(確認申請が必要となる)。
4 第5回チセヌプリ登降スキー継走大会。
4・28 蘭越町アスパラ耕作組合設立。
6 北海道身障者福祉協議会後志支部蘭越分会設立。
7・3 蘭越小学校において、目名川改修護岸工事、目名川橋・湯山別橋(3月30日完成)・豊国橋(10月末完成予定)架け替え工事の合同落成式を行う。
7・11 町営屠場(牛・馬・豚・めん羊等のと殺場)営業を開始する。
8・6 秩父宮妃、昆布小学校で歓迎を受けられ、青山温泉にご一泊、翌7日、故佐伯はる記念碑前で松を植樹される。
9・5 自衛隊により工事を進めてきた蘭越高等学校のグランドが完成、引渡式行われる。
9・16 佐伯はる(青山温泉おかみ)頌徳碑除幕式。
10・13~14 初田中学校新設問題で町議会紛糾。
11・1 湯本・昆布・ニセコ・新見を含む「ニセコ温泉郷」、厚生省より国民保養温泉に指定される。
11・12 蘭越・狩太両町の主催で、青山不老閣において、記念祝賀会を開く。
11・4~8 函館博物館、立川遺跡を調査。
11 名駒巡査駐在所を港町に移転。
12・5 昆布小学校体育館落成。
12・19 蘭越農協共同集乳所落成式。
昭和52 廃 止。

この年
◇蘭越東に農村共同作業所落成。
◇蘭越町史の編集始まる。

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