まちの歴史(昭和6~15)
昭和6(1931年)
1・1 | 蘭越郵便局、電話の交換事務を始める。 |
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6 | 酒井寿太郎、村長に就任。 |
この年
◇全道的な冷害による凶作のため農家困窮する。
このころ
◇水稲の品種、坊主11号から、5号、白毛、チンコ糯になる。
昭和7(1932年)
7 | 栄楽座(目名)開設。 |
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8・4 | 豪雨のため、2日間の尻別川流域の雨量72ミリに達する。このため村内各地に洪水が起こり、田畑大きな被害を受ける。 宝来橋(現在はない)流失する。 |
9・10 | ふたたび大雨により出水(8・9月の総降雨量、寿都699ミリ、倶知安561ミリ)。 |
この年
◇中村清の指導により、中目名少年義勇団結成。
◇弘妙寺(高野山真言宗)設立。
昭和59・1・26 廃 寺。
◇中山実了、真言宗教会を設立。
昭和27 成田山実照寺となる。
平成元廃寺。
◇天候不順による凶作。
昭和8(1933年)
3 | 蘭越上に自作農創設記念碑(笠井次八郎外21名)建立。 |
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この年
◇蘭越、軍馬購入地に指定
◇吉崎牧場に「かしくるみ」の苗木数百本を植樹。
昭和9(1934年)
1 | 池田薫、村長に就任。 |
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4・1 | 尻別川鮭鱒人工孵化組合、北海道庁に移管され、北海道鮭鱒孵化場尻別事業所となる。 |
5・20 | 村立隔離病舎落成。 |
9 | 北尻別に磯谷橋(180メートル)落成。 |
この年
◇低温による凶作。
◇蘭越農村託児所、朝日新聞社社会事業団より表彰を受ける。
昭和10(1935年)
8・1 | 村内の各青年訓練所を青年学校と改称し、開校式を行う。蘭越実科農学校は、蘭越実科青年学校と改称される。 |
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この年
◇志根津川(現初田)に200町歩の村営牧場を新設。
◇小樽市渕上伝吉、上目名において大玖山を試掘。
昭和11(1936年)
8・16 | 蘭越に忠魂碑(侍従武官長陸軍中将宇佐美興屋書)を建立、除幕式を行う。 |
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9・21~23 | 陸軍特別大演習にご参加の秩父宮来村。目国内小学校(22日)、昆布小学校(23日)で講評を受けられる。 |
9・22 | 秩父宮殿下御成記念碑、目国内(現三和)小学校校庭に建立。 |
9・23 | 秩父宮御成記念碑、昆布小学校校庭に建立。 |
10・7 | ○勅使小倉侍従来村、志根津川造林を視察。 ○田下禎信(寅治)に、天皇単独拝謁の仰せがあったが、病気のため参入できなかったので、御紋菓ほかの下賜がある。 |
昭和12(1937年)
9 | 大日本国防婦人会南尻別村分会結成。 |
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12 | ニセコ山の家(狩太村)開業。 |
この年
◇村内からの出征兵多くなり、各駅の見送りさかんになる。
◇ニセコ登下降スキーリレー大会開催。
昭和13(1938年)
9・14 | 現立川に八幡神社(祭神天照皇大神・大山祇大神)創建。 |
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10・21 | 南尻別信用購買販売利用組合設立。 |
12・31 | 北海道電力株式会社昆布発電所竣工運転を開始(現黄金)。 |
この年
◇阿部庄造、農林省よりニュージーランド産緬羊52頭の交付を受け、村内への普及を図る。
◇田下緬羊種付所設置。
◇目国内青年学校に女子部を設ける。
昭和14(1939年)
4・1 | 警防団令施行細則公布。村内の消防団、警防団と改称される。 |
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4・28 | 南尻別村全てが倶知安警察署の管轄になる。 |
4 | 青年学校、義務制となる。 |
6・1 | 目名(現名駒)郵便局を本目名郵便局と改称。 |
9 | 自作記念碑(敦賀農場)建立。 昭和51・10 三和神社境内に移転。 |
昭和15(1940年)
1・6 | 昆布温泉郵便局開局。 同15・10・25電信・電話事務開始。 |
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4・1 | 1級町村制施行。 |
5・10 | 蘭越劇場設立。 |
12・28 | 町内会、部落会設置規定を制定。 |
この年
◇大政翼賛会南尻別結成。
◇南尻別銃後奉公会結成。
◇小樽渕上倖吉経営の上目名大銹鉱山(金・銀・銅)採掘を始める。
◇讃岐神社境内に讃岐開墾記念碑(開拓功労者小野高介を賛えたもの)建立。