まちの歴史(昭和23~25)
昭和23(1948年)
2・5 | 南尻別村(のちの蘭越町)開拓農業協同組合設立(171戸組合長割石光夫)。 |
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2 | 目名郵便局、電話の交換事務を始める。 |
3・6 | 南尻別村父母と先生の会(PTA)連合会結成。 |
3・13 | 南尻別村(のちの蘭越町)農業協同組合設立(組合長山本巌)。 |
4・1 | 南尻別村畜産振興会設立。 |
4・24 | 南尻別村農業共済組合設立。 |
4・30 | 三和小学校内に、名駒中学校三和分校を併設。 |
7・11 | 御成で自警団を結成。 |
8・23 | 役場駐在員設置条例制定。 |
8 | 民生委員を任命。 |
9・1 | 蘭越・名駒・目名各地区に家畜診療所を設置。 |
9・10 | 尻別川鮭鱒保護協会を結成。 |
9・19 | 中目名(のちの目名)農業協同組合設立(組合長村田富太郎)。 |
11・23 | 倶知安農業高等学校南尻別分校、蘭越中学校の校舎を借りて開校。 昭和26・4・1 北海道南尻別高等学校として独立。 同 29・12・1 北海道蘭越高等学校と改称。 |
12・23 | 蘭越中学校新校舎落成(現役場敷地)。 |
この年
◇農村電化地区清水、鮎川、三和、吉国、目名共有地、賀老、相生、旧蘭越豊国下、昆布西、黄金、豊国下、日出(湯山別)、立川、田下、讃岐
◇この年より28年にかけて引揚者の住宅を建築。
昭和24(1949年)
1・15 | 南後志村第一回成人式を蘭越・昆布・中目名・名駒(名駒・三和・御成方面)四地区において行う。 |
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3・8~10 | 国民体育大会冬季スキー大会(札幌市)にご出席の高松宮、三笠宮、昆布温泉青山不老閣にご滞在、スキーを楽しまれる。 |
4・1 | ○南尻別村農業改良相談所開設。 昭和33年 蘭越農業改良普及所と改称。 ○南尻別村開拓営農指導駐在所開設。 昭和35・9・10 蘭越町開拓営農指導所と改称。 |
4・16 | 倶知安林務署蘭越駐在所を設置。 |
7・11 | 蘭越市街大火。104棟、109戸全焼。罹災世帯120世帯。 |
9・1 | 川上小学校開校。 |
11・12 | ○上里小学校開校となる。 ○上里地区に自家発電所(水力)完成。 |
この年
◇蘭越市街の道路を拡張。
◇蘭越上に大貯水池、市街3か所に貯水槽を設ける。
◇公営住宅10戸を建設。
◇旭台に秋田県人、樺太引揚者疎開者50世帯入植。
◇日出に秋田県人20世帯入植。
◇農村電化地区 三笠、上里
昭和25(1950年)
3・1 | 蘭越電話中継所業務を始める。 同31・8・20廃止 |
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4・1 | 昆布小学校、桂中学校、狩太村・南尻別村学校組合立となる。 |
4 | 養護施設北海愛星学園法誓寺所有地に認可。 昭和24・6 孤児16名を法誓寺にあずかる。 同 24・12 木造平屋1棟を建設。保護児童を収容。 |
6 | 村内四方面に遺族会結成。 同 30・8 蘭越町遺族会発足。 |
7・23 | 佐賀の花、力道山一行の相撲巡業行われる。 それ以降の主な巡業 昭和26・7・25 千代の山一行 同27 双葉山一行 同28・7・22 羽黒山、吉葉山、三根山一行 同31・7・22 若の花、若の海一行 |
8・5 | ニセコ、道立公園に指定される。 昭和38・7・24 ニセコ・積丹・小樽海岸、国定公園となる。 |
8・30 | 南尻別村開拓青年同志会が結成され、機関誌『拓南』を創刊。 |
8・30~31 | 南尻別村戦後開拓五周年記念開拓祭を開催(上里)。 |
9・30 | 蘭越中学校川上特別教授所開所。 昭和27・4・1 川上中学校となる。 |
10・3 | ニセコ観光自動車株式会社設立。狩太駅・昆布温泉・昆布駅・狩太駅の循環バスの運行を開始。 昭和43・4・3 社名をニセコバス株式会社と改称。 |
10・10 | 開基50周年並びに役場庁舎新築落成記念式を挙行。「南尻別鳥瞰図」(吉田初三郎)を発行。 |
12・31 | 道庁林務部、チセハウスを設立、翌26年織笠巖を管理人とする。 昭和38・2・24 チセハウス町営となる。 |
この年
◇シャウプ勧告による地方税法施行(議会による等級賦課なくなる)。