まちの歴史(昭和16~22)

昭和16(1941年)

4・1 ○村内の字名を改称し、この日より施行(3月1日告示)。
○国民学校令(3月1日公布)により、村内の各小学校、国民学校と改称。
5・11 中目名市街火災、17棟19戸全焼。
5・22 青年訓練所15周年記念御親閲拝受(東京)に10名参加。
6・1 本目名郵便局、名駒郵便局と改称。

この年
◇毎月村常会を開催、各種行政の総合的な運営及び町内会・部落会の目的を達成するための事項を協議する。

昭和17(1942年)

10・1 小樽育成院により、初代院長与水伊代吉翁之碑、上里神社境内に建立。
10・4 第13回国民体育練成大会北海道予選(札幌市)種目「戦場」の4キロ行軍に蘭越青年学校が優勝。
10月29日からの明治神宮大会に出場

この年
◇南尻別翼賛会壮年団結成。
◇国防婦人会と愛国婦人会を統合して、大日本婦人会南尻別支部を結成。
◇富岡東に開拓者6~7世帯入植

昭和18(1943年)

3・3 南尻別村森林組合設立。
3 昆布鉱山業所(所長天野時次郎)、昆布市街に事務所を設置し、ニセコアンベツ川の上流(南尻別村字ニセコアンベツ)より鉄鉱石を採掘、索道を使って昆布駅に搬出する(昭和19年閉鎖)。
4・1 村内7青年学校を統合して、蘭越、名駒、中目名、昆布の4青年学校を設置。
6・1 市町村制施行令の改正により、南尻別村、指定町村となる。
8 田下に田下禎信翁碑建立。
9・21 名駒市街火災13棟(倉庫・納屋・馬小屋を含む8世帯が焼失)。

昭和19(1944年)

3・15 団体統合により南尻別村産業組合と農会が合併し、南尻別村農業会となる。
4・1 青年学校を1校に統合、南尻別青年学校とする。
9 小林栄三郎、村長に就任。
12・30 昆布郵便局、電話の交換事務を始める。

この年
◇ニセコ山頂に北大低温科学所の飛行機着氷試験所設置。
◇村内の農家に、中等学校の生徒泊まり込みで援農に入る。
◇名駒一帯に点灯。
このころ
◇愛友会を改編し、中目名郷土振興会(会長柳町与助)を設立。

昭和20(1945年)

6 南尻別村国民義勇奉公隊結成。
7 南尻別村婦人義勇奉公隊結成。
8・15 村民、ラジオ放送により終戦の天皇のお言葉を聞く。
10 京都よりの帰農者10戸45名吉国へ、同じく10余戸50名立川へ入地。

この年
◇各地区に青年団結成される。
○蘭越方面 蘭越青年郷党会
○名駒方面 名駒青年団
○御成方面 北魁青年同志会
○昆布方面 昆布連合青年部
◇冷害による大凶作
◇昆布地区に発疹チフス発生。
◇農村電化地区 淀川

昭和21(1946年)

1・22 各学校の天皇のお写真を後志支庁へ返還。
1 名駒青年五誓会結成。4月少年部を設ける。
1 北海道婦人会南尻別支部結成。
1 昆布連合青年部、機関紙「新世」(隔月)を創刊。
2・11 昆布壮友会結成。
4・1 昆布座設立。
10・4 指定町村廃止となる。

この年
◇南尻別村青年連盟結成。
◇蘭越大工組合結成(組合員70余名)。
◇川上に満州・樺太からの引揚者27世帯入植(昭和41年廃村)。
◇御成方面に発疹チフス流行。
◇村内各方面豊作。
◇農村電化地区 名駒

昭和22(1947年)

1・16 冬季間三和小学校に通学できない上里地区の児童を会館に集めて、季節学校を開校。
昭24・11・12 上里小学校の開校により閉校。
4・1 ○昆布、名駒、中目名に役場出張所を置く。
○新学制となり、各国民学校を小学校と改称。道庁、父母と先生の会(PTA)設立について通達。
4 公選第1回村長選挙により、高橋千代吉村長に就任。
4 南尻別青年学校閉校。
5・1 蘭越・目名・名駒・桂(狩太村立)各中学校設立。
9・3 第1回中目名地区輓馬競技大会開催(目名小学校校庭)。
名駒地区は23年より、昆布地区は25年より行われたほか蘭越地区でも開催される。
10・1 倶知安林務署目名駐在所設置。
10・14 農林省北海道作物報告事務所南尻別出張所(のちの統計調査事務所蘭越出張所)設置。
12・30 字上里191番地に墓地公定。
12 名駒児童文化協会結成。

この年
◇農地法により小作農、自作農になる。
◇警防団が消防団と改称。
◇名駒壮和会結成。
◇字川上に広島県より11戸入植。
◇農村電化地区 御成、初田、共栄、冷水、貝川、蘭越東

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